格闘家・菊田早苗はかつて新日本プロレスに入門したものの破門になり、その後、UWFインターナショナルに入門した時は脱走しています。その後、出戻った際にテストを受けるものの、山本喧一にスパーリングで腕を折られ不合格となっています。
その後、総合格闘技の世界で強豪へと成長した菊田早苗は、なぜプロレスで挫折してしまったのか。菊田早苗より総合格闘技で結果を出したプロレスラーはほとんどいなかったことを考えると、非常に不思議な気がします。
この記事では菊田早苗がプロレスを挫折した経緯と真相を調べ、まとめてみました。
菊田早苗が新日本プロレスを破門になった経緯
新日本プロレスやUWFインターナショナルに入門するも前者は破門、後者は脱走という形で退団。
新日本プロレス入門時は今をときめく(?)文部科学大臣・馳浩にクビを宣告された。柔道で実績があり、後に総合格闘技で大活躍する菊田の格闘センスを、様々なレスラーを育てた手腕の持ち主である馳が見逃すとは思えない。相手に身体を預け、怪我をしない・させないように、かつ激しくプロレスをするには信頼関係の構築が必要である。馳はプロレスで必要な種類の信頼を構築するコミュニケーション能力が菊田には欠けていると判断したのではないか。
菊田 大学を休学して新日本に入ったんですね。そしたらすごかったです。馳さんと佐々木健介さんが。もう半端じゃないですよ。佐々木健介さん、あれいい人だっていうのもちょっとなぁって思っちゃうな……(笑)。いまは知らないですけどね。菊田 同期は池田大輔さん、小島聡さん、ショー・フナキさん。みんな同じ日に入って小島さんだけ残った。その時に思ったのは、やっぱりどれだけプロレスが好きか。その部分で小島さんには勝てなかったんで、僕は辞めなきゃいけないんだなって思いました。
菊田 まず新日本の話をすると、佐々木健介さんと馳浩さんはとにかく厳しかったんですね。僕の担当は馳さんだったんだけど、あれは異常だったと思いますよ。
――「朝まで生テレビ」の体罰問題で馳先生がほぼ発言しなかったのはそういう事情があったんですかね(笑)。
菊田 新日本の中でもトップクラスの厳しさだったんじゃないですかね。ま、過去にも厳しい時代はあったんだと思いますけど。
――たとえばどんな厳しさなんですか?
菊田 ボクはケガをして入っちゃったんで、運がいいのか悪いのか、練習をある程度、制限されていたんですよ。でも、みんなの練習の話を聞いたり、たまにぶん殴られたりすると「これはヤバイなあ……」って。
――本練習の前で。
菊田 ある程度は想像をしてたんですけど、それを超えていましてねぇ。
――菊田さんは高校大学の柔道部で体育会系縦社会というものをたっぷりと経験されてるじゃないですか。それでもつらかったと?
菊田 いやあ、あのときの新日本はおかしかったですねぇ。
菊田早苗が入門した当時の新日本プロレスは馳浩と佐々木健介がコーチ役で、当時の新弟子は異常なまでの暴力やしごきを受けていたと様々な書籍で証言されています。
後に菊田早苗は総合格闘技で頭角を現した時代に馳浩と偶然出くわしたそうですが、そのときシゴキすぎたことを謝罪されたそうです。
UWFインターナショナルに入門も脱走→再入門でヤマケンに腕を折られる
――一方、Uインターはどんな厳しさだったんですか?
菊田 Uインターは練習というより収容されてる感じですね。
――新日本は刑務所で、Uインターは収容所(笑)。寮長の田村(潔司)さんがとにかく厳しかったとか。
菊田 田村さんは真面目っていうか、ちゃんと寮を管理しないといけないと思ったんでしょうね。ボクが寮に入ったときに金原さんはデビューしてるのに日曜日に外出できずリビングで体育座りして過ごしてるんです。あの光景を見たときに「これは厳しいなあ……」と。
――Uインターでは初日早々「これは厳しいなあ……」ですか(笑)。
菊田 「ここも厳しいなあ」と思いましたねぇ。金原さんが高山(善廣)さんに「コンビニに行くけど、田村さんが来たらごまかしておいて」とか言ってて「うわっ、コンビニにも自由に行けないんだ……」って最初から落ち込んじゃって。笑
――ホントに収容所ですね(笑)。
その後、プロレスから逃げた者に居場所はないからと就職しようと考えたが柔道部の恩師に不動産屋を紹介されると「なんでもいいから儲かりたいんじゃない」と考えUWFインターナショナルへの出戻りを決意。しかし出戻りを決意してうけたテストでは脱水症状になるまで体を動かした末に山本喧一とスパーリングを行うという過酷なプログラムを課され、腕を折られる。結果は不合格
菊田「(Uインター入門の)初日にちょっと怖いなと思ったのは、日曜日で休みだったんですけど、みんなリビングに体育座りで外に出られないんですよね。で、金原(弘光)さんが『ちょっとコンビニに行ってくるから、田村(潔司)さんが来たらこう言っといてくれ』とか言って出て行ったんですよ。もうデビューしてる人が日曜日にちょっとそのへん出るのも理由つけて行かなきゃいけないんだと思ったら、ビビッてきちゃって(笑)。1年経ってもこんなんじゃ耐えられないなと思って、自由がないことに。大学も厳しかったんですけど、休みはあったんでリフレッシュできたんですよ。僕はかなり自由な人間だったので、練習も厳しかったけどこれは厳しいなーと考え過ぎちゃって。気付いたら寮を飛び出してましたね」
菊田早苗とUWFインターナショナルとの関わりは、まず入門したもののあまりの厳しさにすぐに脱走、その後、出戻りするも入門テストで山本喧一にスパーリングで腕を折られ不合格になります。このときのヤマケンとの遺恨は後に直接対決で菊田早苗が勝利するという形で清算されています。
まとめると菊田早苗は新日本プロレスとUWFインターナショナルで2回プロレスラーになろうとして、なれなかったということになります。
ネットの反応
成瀬は菊田と素手のVTマッチをやったのが凄いと思う
新日本、Uインターから逃げた菊田
>>619
菊田はプロレスが合わなかっただけ。シュートでの旧パンクラス、MMAなら吉田に勝つくらい強い。
成瀬は新日の売り出し方が下手なだけで、プロレスルールでも、新日の金本、ライガーや、ノアの小川良、丸藤より強いでしょ。
>>625
菊田は未だにアブダビで唯一の日本人優勝者だしね
成瀬は新日入ってからは新日レスラーのMMA挑戦の時によくコーチをやってたみたいだね
ジョシュと成瀬が新日のMMA対策班として技術を教えたけど…まぁ付け焼き刃じゃどうしようもなかった
菊田は安生引退興行メインの6人タッグで
ヤマケンとの絡みのしょっぱなで払い腰→袈裟の形のまま腕極めで
腕をガチ破壊して恨みをはらしてたなw
実質、ヤマケンその最初で戦闘不能になってた
>>624
すでに2015年の安生引退試合の前に菊田とヤマケンは2011年にMMAで対戦してて、1R 2:18 TKO(マウントパンチ)で菊田が勝ってるよ
菊田もプロレス辞めた後スタンザマンのとこに修行行ってたな
菊田が逃げ出した当時の新日本プロレスで格闘技経験もないのに耐え抜いた小島が最強
菊田はアマ実績あったからいびられたんだろ
新日でもインターでも
菊田の回想聞く限り菊田の方がこんなことやってても強くなれんと見限った感じだけどな。インターに出戻ったときは確かにいびられたろう。
>>741
菊田はプロレスの仕組みをタイガージム時代にリッキーフジから聞いて知ってたらしいから新日を強くなれないから辞めるは違うんじゃないの
>>745
プロレス道場の練習で強くなれるとは思っていたようだが、理不尽なシゴキや雑用ばかりで、プロなのにこれじゃ日体大の下級生と変わらんやないか、と幻滅したみたいね。
菊田は大学行くまで立ち技オンリーのパワー系だったのに一気にスタイル変わった印象
体育会系が合わない猛者って面白いね
>>746
父親の影響かな
後、あの時期の新日道場は馳健が仕切っててかなり異常な状態だったらしいからなぁ
あのままいたら菊田は健介に・・
菊田にMMAルールで勝てる新日レスラーって藤田くらいじゃないか?
菊田なんかヤマケンに腕折られたレベル
それは出戻りの菊田に散々基礎練習やらしてフラフラになったとこを元気いっぱいのヤマケンとスパーやらせたんじゃなかったっけ。もちろん出戻りを気に入らないヤツがヤマケン焚きつけて怪我させる為に指示した。
今でも宮戸と交流ある関係者って菊田くらいよね
引用元: ・https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/wres/1578575287/
編集長の一言