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ヒクソン・グレイシー

プロフィール

リングネーム:ヒクソン・グレイシー(Rickson Gracie)
本名:同じ
身長:178cm
体重:84kg
生年月日:1958年11月21日
出身地:ブラジル・リオ・デ・ジャネイロ州

来歴

  • 18歳でエリオ・グレイシーからブラジリアン柔術黒帯を授与された。
  • 1980年、バーリトゥード最強と言われで150連勝していたレイ・ズールに勝利し、頭角を現す。
  • 1987年、ルタ・リーブリのウゴ・デュアルチとリオデジャネイロのビーチで喧嘩をして勝利。[動画]
  • その後、ウゴ・デュアルチとは道場でも再戦し、勝利している。
  • 1994年7月29日、VALE TUDO JAPAN OPEN 1994で初来日。圧倒的な強さで優勝する。
  • 1994年12月7日、ロサンゼルスの道場で安生洋二の道場破りを受け、圧倒的強さで勝利する。 [関連記事]
  • 1995年4月20日、VALE TUDO JAPAN OPEN 1995に出場。1回戦こそ山本宜久のロープ掴み作戦に苦しんだものの、やはり圧倒的な強さを見せつける。このとき決勝で対戦した中井祐樹が、ゴルドー戦で失明に至る怪我を負いながらも勝ち上がってきたことを称賛し、打撃を使わない気遣いを見せた。
  • 1997年10月11日、PRIDE.1で高田延彦に圧倒的強さで勝利する。トップレスラーとして総合格闘技に初めて登場し、いいところなく負けた高田はプロレスファンを深く失望させ、「戦犯」と呼ばれた。
  • 1998年10月11日、PRIDE.4で高田延彦と再戦し、前回よりも苦しんだものの勝利した。2戦とも高田延彦は腕ひしぎ十字固めを決められるとすぐにタップをしていることから、高田は「高速タップ」とファンから揶揄されるようになる。ヒクソン自身も船木がギブアップしなかったことと比較し、高田の高速タップに苦言を呈している。
  • 2000年5月26日、コロシアム2000で船木誠勝と対戦。船木のパンチで眼窩底骨折するなど、これまでの圧倒的強さは陰りを見せたが、危なげなく勝利した。

エピソード

  • 「400戦無敗の男」というキャッチコピーは初来日時に佐山聡がつけたもので、400戦にはサンボの試合や街での喧嘩、ホイス・グレイシーとの兄弟喧嘩も含まれていたと言われている。また、米国でのサンボの試合で敗れたことがあり、本人もそれを認めている。
  • 船木戦の後、桜庭和志との対戦交渉があったことを本人も認めているが、長男の死去により精神的問題があり、実現しなかった。後にテレビ番組の企画で桜庭和志と対談した際に「自分の人生でいちばん大切な試合をしなかった。その事実を背負い、生きていかなければならない」と発言。当時の桜庭の強さを警戒して避けていたとも受け取れるコメントをしている。
  • 前田日明や長州力とも対戦交渉があったことが明らかになっているが、具体的な交渉までは進んでいなかったとされている。

戦績

総合格闘技

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日 会場
船木誠勝 1R 11:46 チョークスリーパー コロシアム2000 2000年5月26日 東京ドーム
高田延彦 1R 9:30 腕ひしぎ十字固め PRIDE.4 1998年10月11日 東京ドーム
高田延彦 1R 4:47 腕ひしぎ十字固め PRIDE.1 1997年10月11日 東京ドーム
中井祐樹 1R 6:22 チョークスリーパー VALE TUDO JAPAN OPEN 1995【決勝】 1995年4月20日 日本武道館
木村浩一郎 1R 2:07 チョークスリーパー VALE TUDO JAPAN OPEN 1995【準決勝】 1995年4月20日 日本武道館
山本宜久 3R 3:49 チョークスリーパー VALE TUDO JAPAN OPEN 1995【1回戦】 1995年4月20日 日本武道館
バド・スミス 1R 2:40 KO(マウントパンチ) VALE TUDO JAPAN OPEN 1994【決勝】 1994年7月29日 東京ベイNKホール
ダビッド・レビキ 1R 2:40 KO(マウントパンチ) VALE TUDO JAPAN OPEN 1994【準決勝】 1994年7月29日 東京ベイNKホール
西良典 1R 2:58 チョークスリーパー VALE TUDO JAPAN OPEN 1994【準決勝】 1994年7月29日 東京ベイNKホール
レイ・ズール 1R チョークスリーパー Independent Event 1984年1月1日
レイ・ズール 1R 11:55 チョークスリーパー Independent Event 1980年4月25日